HAMA PHOTO
2025.01.03撮影

10,000時間の先にあるもの ─ 反復の中で見つける撮影の感性

毎日シャッターを切る中で気づいた『反復』の価値についてのエッセイ。同じ動作を繰り返す被写体の微細な変化、JTMA佐藤純也さんの言葉、ITと撮影という二つの10,000時間を掛け合わせる発想を綴ります。

僕は最近、ある不思議な発見をしました。それは、毎日のように続けている撮影の中で、ふと気づいた感覚です。

写真を撮り始めた頃、僕はいつも「決定的な瞬間」を追いかけていました。その日の光の具合、被写体の表情、シャッターを切るタイミング─。すべてが完璧に揃う瞬間を待ち続けていたんです。でも、それは同時に、多くの「失敗」も意味していました。

特に印象に残っているのは、Inner doseというサプリメント会社での撮影です。トレーニング中の人を撮影する企画で、僕は最初、かっこいいフォームや力強い表情だけを追いかけていました。でも、何度シャッターを切っても、どこか物足りない。そんな焦りの中で、ある気づきがありました。それは、トレーニングをしている人が、同じ動作を繰り返している時の表情でした。一回一回、微妙に違う。でも、その人は気づいていない。ただ、その動作に没頭している。その姿に、僕は見入ってしまいました。

面白いことに、撮影を重ねるうちに、僕自身もその「反復」の中に引き込まれていきました。最初は「これしかない」と思っていたアングルが、実は無限にあることに気づいたんです。同じ場所で、同じポーズを撮っているはずなのに、毎回新しい発見がある。それは、まるでトレーニングする人が、同じ動作の中で新しいフォームを見つけていくのに似ていました。

「これでもか」というくらい同じ場所で撮影を続けた日もありました。汗だくになりながら、ファインダーを覗き続ける。周りから見たら、きっと奇妙な光景だったと思います。でも、その時僕は、不思議なほど心地よい感覚に包まれていました。スマートフォンの通知も、締め切りの焦りも、すべて遠くに消えていく。ただ、その瞬間だけが存在する感覚。

それは、トレーニングする人の表情と重なっていました。ダンベルを持ち上げる瞬間の、この世界に自分だけが存在するような集中力。SNSやメールに気を取られがちな日常の中で、彼らはその動作だけに意識を向けている。その姿に、僕は現代を生きるヒントのようなものを感じました。

最初は商品写真の定番アングルを探していた僕が、いつの間にか被写体の「内なる変化」を追いかけるようになっていた。それは頭で考えていた撮影プランとは違う、体が覚えていった感覚でした。

この気づきは、きっと写真に限った話ではありません。僕たちは、「考える」ことに重きを置きすぎているのかもしれない。実際にやってみる、繰り返してみる、その中で見つかる何か─。それは、頭の中だけでは決して得られない発見なんじゃないでしょうか。

写真を撮り続ける中で、「反復」の持つ本当の価値が、少しずつ見えてきました。それは単なる技術の向上だけではなく、同じように見える瞬間の中に隠れている、微細な違いへの気づきでした。

この気づきを深める中で、強く心に残っている言葉があります。以前の記事で紹介させていただいたJTMAの佐藤純也さん。彼の姿を、僕は10年近く見てきました。セミナーや講演で、同じような内容を何度も繰り返し話す。でも、その話は毎回新鮮で、聴く人を惹きつける力を持っていました。

「同じことを100回、1000回、10,000回と繰り返すんです。誰でもできることを、誰にもできないレベルまでやること。」

佐藤純也さんのその言葉の意味を、僕は最近になってようやく理解が進んだ気がします。それは、日々の撮影を重ねる中での気づきでした。

最初の頃の僕は、独自性は何か特別なことをすることから生まれると思っていました。変わったアングルや奇抜な演出。でも、それは表面的な「違い」でしかありませんでした。シャッターを切り続けるうちに、同じように見える瞬間の中にこそ、まだ見ぬ可能性が隠れているように感じられるようになってきたんです。

シャッターを切り続ける中で、もう一つの重要な気づきがありました。それは、この「反復」にどれくらいの時間が必要なのか、という問いです。

実は、この問いへの一つの答えとして「10,000時間」という考え方があります。僕は常々、一つのことをプロの領域に到達するまでには10,000時間かかると考えています。しかも、その10,000時間は終着点ではなく、むしろスタート地点なんです。この考えは、マルコム・グラッドウェル著『天才!成功する人々の法則』でも詳しく説明されています。

例えば、プロ野球選手を考えてみましょう。中学校から野球を始めて3年、高校で3年、そしてその後数年の練習期間。この積み重ねがあって、ようやくプロとしてのスタート地点に立てる。音楽家でも、他のどんな分野でも、同じような法則が当てはまると感じています。

でも、現代では、そこからさらに面白い展開があると考えています。その10,000時間で培ったものを、別の分野とミックスさせることで、より独自の価値を生み出せるんじゃないか。実際、僕自身、10年以上のIT問題解決の経験と、同じく10年以上積み重ねてきた撮影などの制作技術を組み合わせることで、新しい視点が生まれてきています。クライアントの技術的な課題を理解する深さと、それを視覚的に表現する力。この二つの分野での経験が、予想もしなかった形で結びつき始めているんです。

この発見は、僕の写真表現に大きな影響を与えています。ITの仕事でもカメラの仕事でも、一見同じように見える日々の中に、実は新しい発見が隠れていたんです。例えば、お客様との何気ない会話の中にある本当の課題。撮影現場での一瞬の表情の変化。そういった小さな気づきの積み重ねが、少しずつ、でも確実に視野を広げてくれました。

企業の撮影現場では、その場にいる一人一人が、それぞれの想いを持っています。その空気感を大切にしながら、自然な表情を写真に収められたとき。それは、まさにDJたちが会場の空気を読みながら音を紡いでいく感覚に似ているのかもしれません。

一枚の写真で人の心を動かすこと。それは決して、技術的な完璧さだけでは成し得ません。その場の空気を感じ取り、瞬間を捉え、そこにいる人々の感情に寄り添う。そんな繊細な感性は、日々の小さな気づきの中で、少しずつ育まれていくように思います。

反復の中で見つかるのは、技術だけではありません。例えば、企業で働く人々の撮影を重ねる中で気づいたのは、その人が本当に生き生きと輝く瞬間は、意外にも仕事に没頭している時だということ。画になるものを作ろうとした時よりも、純粋にその仕事を楽しんでいる時の方が、はるかに魅力的な一枚が撮れるんです。

10,000時間。それは確かにプロフェッショナルとしての入り口です。でも、その先にある本当の価値は、技術を超えた感性の領域にあるのかもしれません。それは写真に限らず、どんな分野でも同じことが言えるはずです。

日々の仕事や趣味の中で、同じことを繰り返すとき。その一つ一つの瞬間が、実は新しい発見に満ちている。そう考えると、10,000時間という数字は、決して遠い目標ではなく、日々の小さな発見の積み重ねなのかもしれません。

カメラを手にして10年。毎日シャッターを切り続けていますが、まだまだ見ぬ景色がたくさんあります。それを思うと、心が躍ります。同じように見える瞬間の中に、新しい発見を見つけることが、この上なく楽しいのです。

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