撮った動画を、集客にも採用にも働く、資産に変える考え方。
動画が集客にも採用にもつながらない原因は、撮る腕ではなく「何のために撮るか」が決まっていないこと。東京での3現場から、一本の映像を複利で働かせる逆算の考え方を書きました。
サービスや商品を持っていて、それをもっと広げたい。人を採用したい。もっと効率よく回したい。そう思ったとき、多くの人が「発信のためのコンテンツを作ろう」と考えます。
でも、いざコンテンツを作ってみたのに、思ったほど集客にも採用にもつながらなかった——そういう話を、ぼくはよく聞きます。
その原因の多くは、撮る腕でも、編集の質でもないと思っています。撮る人が、何のためにそれを撮っているのかを、わかっていないからです。今週は、その話を書きます。
今週は東京にいました。
マッサージ店の2店舗目を準備しているセラピストの撮影、ジュエリーブランド KYRAH の商品撮影、それからバンコクでボディビルダー向けの施術をしている MYO PRO のセラピストが来日していて、三日間の講座を撮らせてもらいました。
ぜんぶ別々の仕事に見えますが、ぼくの中ではいつも同じ一つの問いに行き着きます。撮影者って、そもそも何をする人なんだろう、という問いです。
先に言っておくと、ぼくが撮っているのは、映画やドラマみたいに台本があるものでも、インフルエンサーの発信のための映像でもありません。サービスや商品を持っている人が、目の前のお客さんにそれを提供している。その様子を、同じようなサービスを求めている人たちに届くように撮る——そういう現場です。
実際にお客さんがいて、サービスが行われている。結果が出た瞬間も、ときには思うように出なかった瞬間も含めて、その現場にはごまかしがありません。ぼくは、そのリアルをそのまま撮ります。台本のうえで「こう見せたい」を演じてもらうのとは、まるで逆の仕事です。
世の中の理解だと、撮影者は「撮って、編集する人」だと思われがちです。依頼があって、現場に行って、きれいに撮って、整えて、納品する。それで仕事が完結する、という前提。
でも、ぼくの関わり方は、もう少し広いです。撮る前にディレクションをして、何をどう伝えるかの戦略を一緒に考えて、出てきたものにフィードバックをする。撮影や編集は、その総合的な関わりの、一部でしかありません。本当にやっているのは、その人が実現したい未来を聞き出して、いま何が問題なのかを特定して、それを解くために何が必要かを、一緒に組み立てていくことです。手段は、言葉かもしれないし、ただ話を聞くことかもしれない。たまたまその中に、撮影や編集やコンテンツ制作がある、というだけの話です。
MYO PRO の三日間を、例にしてみます。
MYO PRO がやろうとしているのは、ボディビルダーが抱える問題の解決です。大会はいくつもあって、出場する選手を一人で支えきるのは、もう限界がある。だからスタッフを育てたい。でも、来てくれた人なら誰でもいい、という話じゃない。技術はもちろん、人としての在り方も、ビジネスの感覚も、時間をかけて一緒に引き上げていく必要がある。
その育成の入り口には、オンラインの講座があります。ただ、その講座に人が来てくれるには、その前の段階が要る。「ここはどんな場所なのか」を知ってもらうための動画です。
そしてこの動画は、カメラに向かって話してもらうものじゃない。世界の最前線で戦う選手に、実際に施術している、その場面を撮る。そこでこそ、何のためにこの活動をしているのか、お客さんとどう向き合っているのかが、自然とにじみ出るからです。
たとえば「講座の様子を撮ってください」と頼まれたとき、撮って編集するだけの人なら、言われたとおりに講座を撮って、それで終わります。でもぼくが現場で考えるのは、「この動画は、何を実現するために撮るのか」です。
次に来てくれるかもしれない人に、ここは誠実に、こういう技術が学べる場所なんだと伝えるためなのか。今回来てくれた人が、あとで自分の手で振り返るためなのか。あるいは、この講座をもっと良くしていくための記録なのか。
たとえば、ひとくちにプロ選手といっても、メンズフィジークやボディビルなど、カテゴリーはいくつもあります。見た目には同じような施術をしているように見えても、中身はそのカテゴリーごとにまるで違う。そのセラピストは、決まったマニュアルを当てはめているわけじゃなくて、目の前の選手の状態を理解したうえで、その人に合わせて手を動かしています。
その、実際に手を動かしているリアルな瞬間にこそ、ごまかしのないサービスがあります。カメラに向かって「うちはこういう施術をしています」と説明してもらうこともできる。でも、言葉と現実は、どうしてもズレます。だから、本物のお客さんがいて、その人に施術している、その場面を撮る。お客さんの実際の反応こそが、本当の結果だからです。
この一本が、相手の未来のどこに効くのか。それは、これから来ようとしている人の「予約する」という一歩です。お金を払って、時間をかけて、わざわざ移動してまで受けに来る。その人に誠実に応えるには、来る前に「うちは、本当はこういうことをやっています」という中身を、先に見せておくしかない。だから撮るのは、説明している姿じゃなくて、施術しているその瞬間なんです。
何を撮るかは、こうやって決まっていきます。「この映像は、誰の、どんな一歩につながるのか」から逆算すると、撮るべき場面も、引き出すべきものも、自然と絞られてくる。
おもしろいのは、こうして撮った一本が、どれか一つの用途で終わらないことです。集客にも効いて、参加者の振り返りにも使えて、自分たちのアップデートの記録にもなる。一回撮ったものが、複利のように働いてくれる。
方向は、撮る前に決めておきます。この一本で何を実現したいのか——集客なのか、採用なのか、その先のどんな結果につなげたいのか。そこが決まっていれば、撮り方も、どの素材を残すかも、相手から何を引き出すかも、現場に入る前から変わってくる。
こう書くと、撮る前の準備がすべてで、撮影そのものはただの作業みたいに聞こえるかもしれません。でも、そうじゃないんです。現場で撮っている時間には、準備とは別の価値があります。一見ムダに見える素材も、とりあえず撮っておく。何度も現場に立っているうちに、ふと「ここはこう見せたほうが伝わる」とアイデアが降りてくる。次の制作につながる引き出しは、その積み重ねからしか増えていきません。
だからぼくは、撮影を時給で考えたことがありません。決めた時間を消化するんじゃなくて、いいものができたときが締め切り、という感覚に近い。予算を使い切るために動いていると、面白いものは生まれない。良いものを作るというゴールが先にあって、そこに必要なことに、時間を惜しまず夢中で取り組む。たぶん、順番がふつうと逆なんです。
ここまで来ると、ぼくが撮影や編集で本当にやりたいことが見えてきます。それは、その人が毎回繰り返していることを、映像や言葉に置き換えて、勝手に回るようにすることです。
サービスを提供している人は、たいてい同じことを何度も繰り返しています。新しいお客さんが来るたびに、同じ説明をして、同じ実演をして、同じ思いを伝える。その「毎回いちばん良い状態でやっていること」を一度きちんと残せば、あとは映像が、その人の代わりに、何度でも伝えてくれる。本人がもう一度同じことを言わなくても、必要としている人に、勝手に届いていく。
これは、ただの時短じゃありません。目の前の一人に提供した内容が、映像や写真や言葉として残ることで、同じものを必要としている、まだ会ったこともない人たちに届く。そこには、その人のビジョンや、思想や、どんな結果が生まれたのかまで、まるごと乗っていく。繰り返しを手放した分だけ、その人は、本当に自分にしかできないことに時間を使えるようになるし、本当に必要としている人のところまで、サービスを広げていける。
逆に言うと、ここを考えられない関わり方だと、時間はどんどん奪われていきます。撮影や編集だけの関係だと、一つひとつ相談と確認が必要になる。これはどう撮りますか、これでいいですか、ここはどうしましょう。その確認の一回一回が、相手の時間を削っているんです。
今回の三日間でいえば、講座はずっと動いていました。セラピストが選手に施術しながら、生徒に説明している。その流れの途中で「すみません、ここ撮っていいですか」といちいち確認していたら、そのたびに講座が止まる。話の流れも、生徒の集中も切れる。でも、最初に「何のために撮るのか」を決めて入っていれば、確認する必要がない。あ、この場面は次に来る人に効くな、と思った瞬間に、黙って撮る。流れを止めずに、リアルなところだけが残ります。
マッサージ店の2店舗目も、KYRAH の商品撮影も、根っこは同じでした。新しい店で何を実現したいのか。商品の前で人が感じている、買う前のためらいを、どうやってほどくのか。撮るものは違っても、やっていることは変わりません。その人が形にしたい未来を聞き出して、繰り返しを手放せる形に落とし込んでいく。撮影は、そのいちばん最後に出てくる道具にすぎない。
だから、ぼくは自分のことを「撮る人」だと思ったことが、あまりありません。やっているのは、誰かが実現したい未来に、一緒に立つこと。その人がずっと繰り返してきたことを、勝手に働いてくれる形に変えて、もっと遠くの、本当に必要としている人まで届けること。たまたまその手に、カメラがあるだけです。
そう考えると、撮影もコンテンツ制作も、けっこうワクワクする仕事だなと思います。一回のベストの瞬間が、これから先、何百人もの「予約する一歩」を後押ししていく。その未来を一緒に設計できるのが、たぶんこの仕事のいちばん面白いところです。
もし、あなたが何かサービスや商品を持っていて、それをもっと広げたいと思っているなら。コンテンツを誰かに頼むとき、「撮れる人・編集できる人」かどうかで選ぶのを、一度やめてみてほしいんです。その人が、あなたの未来まで一緒に考えてくれるかどうか。そこで選ぶと、同じお金と時間の使い方でも、返ってくるものがまるで変わってきます。
撮影は、手段のひとつでしかない。今週、三つの現場に立って、改めてそう思いました。